
勝利確率は50~60%
公開練習でミット打ちを披露した相内の姿はキックボクサーらしくなっていた。長いリーチを生かしたジャブからワンツー。力を入れたハイキックは、トレーナーのミットにめりこみ威力を感じさせる音を響かせていた。
「少しは形になってきた。楽しみ半分、不安半分。かっこいいところは見せたい」
初めてスパーリングをしたのが1月26日。わずか1か月の本格練習での急成長ぶりにアスリートとしてのセンスが光る。
元J-NETWORKスーパーライト級王者でもある菅原勇介トレーナーも「だんだんと形になってきた。最初は距離も近かったし、リーチを生かせてなかったが、今は体重も乗っているし、右ストレートは強力な武器になっている。奥の手もある」と評価する。
相手の拳信王も1年半ぶりの試合になるが、3勝5敗のキャリアを持つサウスポースタイルの好戦的ファイターだ。
RISEの伊藤隆代表が「遥かに格上の選手。変則でモンゴル特有のパワーがありアグレッシブ」と説明する通り、トリッキーにいろんなところからパンチを繰り出してくる。若葉マークのルーキーには一筋縄ではいかない相手だろう。
菅原トレーナーの手ごたえも「正直、最初は(勝率)10~20%くらいだと思っていたが、今は50~60%くらい」と控えめ。相内も「僕もそう思っています」と言う。
それでもプロ野球で8年間プレーしてきた自負がある。
「ピッチャーだったことでストレートは通用すると思う。右ストレートでKOしたい。楽しい打ち合いができると思う」
https://news.yahoo.co.jp/articles/21fb460321e5e45c9ee5f02d65c6e4a37b556389?page=2
2/27(土) 7:58配信
引用元: ・明日RISE横アリ大会でデビュー!なぜ元西武の“問題児”相内誠は格闘リングに上がるのか?勝算はあるのか? [砂漠のマスカレード★]
「自分から辞めさせて下さいと言いにいったんです。もう野球が嫌になっちゃったので8月終わりくらいに意志を伝えました」
ーーどこを嫌に?
「言い方は悪いですが野球界って小さいんです。ちょっとしたことで騒がれる。それが性に合わない。ひとり目立って、まるで犯罪者扱をされて、野球の選手のはずなのに、違うことと戦っていたんですよね。野球に集中できないというか、なんか敵が違ったような気がして。それで嫌になっちゃったんです」
処分を受けた8月以降、実質、練習もしていなかった。
ーーそういう発言をすると、またネットでアンチが騒ぐのでは?
相内は苦笑いを浮かべた。
「もうプロ格闘家なんで。アンチも歓迎。逆にありがたいですよ」
相内は多くは語らないが、問題になった事件の中には、男気が仇になったトラブルもあったという。
格闘家への転身は、西武の退団を機に決断したものではない。
「戦力外通告を受ける前からやりたいと思っていた。昔から格闘技が見るのも大好きでした。プロ野球に入る前にも、本当は格闘技をやろうという気持ちを持っていたくらいなんです」
憧れはK-1のカリスマ魔裟斗だった。
千葉の冨津市になる「菅原道場」にチラホラと通い出したのは高校生の頃。中学・高校の時に野球部の先輩でK-1で活躍している島野浩太朗が通っていた縁である。
当時、野球部の寮生活だったが、近くのレンタルショップで格闘技DVDを借りてきては見ていた。朝倉兄弟の出身母体である“格闘王”前田日明氏が主宰の「アウトサイダー」のDVDも見たが、寝技の展開になると早送りにしていた。
「寝技が面白いという人もいると思いますが、僕はたまたまそういうタイプだった」
だから総合ではなくキックに魅了された。
だが、いよいよ進路を決める段になって、道場の菅原忠幸会長から助言を受けた。
「今は昔と違って格闘技は盛り上がっていない時代。格闘技界に行くより、野球で勝負した方がいい」
相内は「もしドラフトにかかれば野球で行きます」と決断、西武にドラフト2位で指名された。「あれ?何かの間違いでは」と思ったという。8年という歳月を経て、あの頃の“熱”が蘇ってきた。
千葉国際高(現・翔凜高校)時代は、長身から投げ下ろす140キロ後半のストレートと多彩な変化球を操るピッチングスタイルがスカウトの目を引き“房総のダルビッシュ”と呼ばれた。西武の在籍8年間は0勝7敗に終わったが、高卒2年目の9月に楽天戦でプロ初先発の抜擢を受け、2015年にファームで最多勝を獲得するなど「いつか化ける逸材」として評価されていた。1軍で未勝利の投手が8年間もクビにならないのは異例だ。当然、チームの内外からは引き止めもあり、海外挑戦も含めた野球の継続を進める声もあった。
「もったいないとも言っていただきましたが、違った道で心機一転やりたいと思った。踏ん切りつけて、違う人生を歩みたかった。結果的にいろんな方々を裏切ることになった。●スをもらったので、ここで見返す形を出すことが恩返しになると思う」
「痛いですよ。でもそれを言い出したら格闘家としてやっていけない。慣れていくしかないでしょう」
それでも恐怖感はない。
「野球と違い何の経験もないので怖いという感覚がわからないんです」
ただ格闘家として重要な闘争心は備わっている。
数多くの武勇伝はあるが「言えるタイミングがあれば」と口を閉ざす。ただ、これだけは…と続けた。
「道を外しかけたこともありました。喧嘩は強かったので暴走族のような集団にも誘われましたが入りませんでした。なんの恨みもない人をいきなり殴るようなことはできなかったんです。理由のない戦いだけはしたことがありません」
――格闘家は何の恨みもない相手を殴って蹴らねばなりません。
「それは違います。これは試合ですから」
――RISEの舞台はスポーツか、喧嘩か?
「どっちもじゃないですか」
格闘家に向いていると思った瞬間もある。
西武時代、体重増加、マッチョ化に挑戦したことがあり、最大81キロまで増やしたが、相内には合わなかった。
「僕は食べても太らない体質だった。体重落とせと言われると、これほど簡単なことはない。そこは減量の必要な格闘家に向いているかも」。今回の契約は65キロ。初対決の水抜きは苦労したが、通常体重は68キロ前後の相内にとって難しい減量ではない。
「SNSの質問コーナーで“格闘技は人を殴って勝ったら褒められる、そういうスポーツは魅力的だ”と答えたんです。実際、そんなスポーツって他にないじゃないですか。それがどんどん悪い方向にいって、人殴って金を稼げるからプロにいったみたいになってね。まるで悪童みたいに。別にいいんですけどね」
炎上キャラも上等だが、言われて嫌いな言葉がひとつだけある。
「メンタルが弱い」という指摘だ。
「野球のときもそうでした。すぐにメンタルが弱いで片づけられる。人生の中で、僕がどれだけ嫌な思いをして、何クソと思う気持ちをもって生きてきたか…。見返したい。野球で成功したわけでないが、負けん気みたいなのは人一倍持っている」
彼には中学時代を養護施設で過ごしたという壮絶な過去がある。その真実を「隠すことではないが、今はまだ表に出すタイミングじゃない」と、相内は“封印”しているが、メンタルが弱いどころか、己を貫き通した信念がそこにある。
やはりプロ野球選手は肉体的素養が高いから格闘技やっても成功するんだろうな
ーー元西武のプライドはリングに持ちこむのか?
「心機一転、新しい相内誠でいきたい。僕はそう思っていても、はたからみると、元西武の相内。だから、そこに意識と誇りはある」
相内は西武時代の思い出をこの先の人生に重ねた。
西武時代には「いろんな凄い投手を見てきた」というが、とりわけ度肝を抜かれたのはソフトバンク移籍後にセーブ記録を作ったサファテ。ブルペンの隣で投げることになり、「バケモンだと思った。キャッチャーミットの音が銃声みたいだった」という。
プロ入団直後にショックを受けたが、相内の反骨心が萎えることはなかった。
「僕は変化球投手で入ってきた。サファテより変化球は僕の方が豊富。サファテと同じことやってもだめ、やれるという自信はあった。格闘技も同じじゃないですか。パワーがなくてもテクニックでトップクラスにいる人もいる。技巧派、速球派は格闘技界にもあると思う。理想は両方を持つこと。巨人の菅野智之やソフトバンクの千賀滉大は両方を持っている」
格闘技界の菅野、千賀になるー。
「理想は、冷静さとテクニックを兼ね備え、落ち着きがあるが、打ち合いになれば負けないというファイター。まだまだ程遠いが、それが一番強いファイターだと思う。目指しているところは白鳥さん」
目標とするのはセミファイナルに出場する白鳥大珠(25、TEAM TEPPEN)だという
「今対戦したいいうのは失礼にあたるレベルですが、いつか試合をしたい。まずは、この1年の勝負。真剣にやれば、もう1年やれるのか、あきらめるのか、そこで自分の将来性が見えてくると思う。夢を大きく言わせてもらえるのであれば、今年の大晦日のRIZINに呼んでもらえるような選手になり、最終的には世界のベルト。いけるところまでいきたい」
相内の抱く壮大なビジョンだ。
――今は野球時代のような窮屈さはありませんか?
そう聞くと相内は「こっちのほうが自分を出せている気がする」と笑った。運命のゴングが近づいている。
これは酷い成績ですね
なんの成果も出さずに辞めてんじゃん
いいんだよこれで
そりゃ普通の選手はやらないから目立つのは当たり前だろ
何言ってんだこいつ
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